今日気になった日経記事は、波に乗れない我々「氷河期世代」に刺さる内容
今日の日経からは、朝日新聞の社長が「AI全振り」と宣言したという記事。地方の取材拠点でAIが深夜の重要発表を検知して記者に知らせる仕組みを導入し、将来は「スーパージャーナリスト」と呼ばれるAIを駆使した少数精鋭の記者が報道の核心を担うという構想らしい。
記者という職業は、これまで「AIに代替されにくい仕事」の代表格として語られてきた。取材力、人脈、現場の嗅覚——そういった人間臭い能力は機械には真似できないと思われていた。その新聞社自身が、組織をAI中心に再設計しようとしている。
これを読んで「自分には関係ない」と思った人は、少し立ち止まって考えてほしい。少し前の私もそうだったが…
AIは「使う側」と「使われる側」を分けていく
私は資産形成中の50代サラリーマンで、AIを使い始めてまだ日が浅い。クロっち(Claudeの呼び名)に日経記事の要約を頼んだり、自分のポートフォリオの分析や整理を手伝ってもらったりするようになったのも、ここ最近のことだ。
それでも毎日続けているうちに、ひとつ気づいたことがある。
AIを使い始めると、情報の処理速度が明らかに変わる。以前は日経を読んで「なんとなく把握した」で終わっていたものが、今は要点を整理して「自分の資産形成にどう関係してくるか」まで考える習慣がついてきた。もちろん記録としても残しておける。 AIがいなかった頃の自分には到底イメージ出来なかったことが、いとも簡単にこなせてしまう。
この記事で印象的だったのは“スーパージャーナリスト”の定義だ。AIを駆使して取材成果を分析し、次の取材先を決め、背景を素早く記事にする。最後に物を言うのはAIではなく、記者が日々の取材で培ってきた人脈だ、とも書いてあった。
ここ重要。サラリーマンに置き換えてもそのまま通じる話だと思う。
AIを使いこなす力+自分の経験や人脈。この掛け算が、これからの時代に生き残る人間の条件になるんじゃないか。
「乗り遅れた」と感じている人ほど、実は間に合っている
私のような50代が一番やってしまいがちなのは、「AIは若い人たちのものだ」と決めつけて、最初の一歩を踏み出さないことだと思う。
でも冷静に考えると、AIが本格的に一般向けに普及し始めたのはここ数年の話だ。30代だろうと50代だろうと、スタートラインはそれほど変わらない。むしろ50代には、長年働いて積み上げてきた業務経験や判断力という武器がある。AIにその武器を持たせたとき、何が起きるのか。
私自身で言えば、資産形成の文脈でそれを試している最中だ。インド株ファンドから金ファンドへ乗り換えたとき、その判断を整理するのにクロっちを使った。AIに「なぜこの判断が合理的か」を言語化させ、自分の考えを客観視する道具として使った。投資の決断をAIに委ねたわけじゃない。自分の思考を鍛えるためにAIを使った。
これが今の私なりの「AI活用」だ。
産業革命と同じことが、今起きている
朝日新聞の社長はこんなことも言っていた。1990年代にインターネットが普及したとき、「ニュースは無料」という認識が広がりメディアは広告収益をプラットフォームに吸い取られた。AI時代にはそれがさらに大規模に深く起きる、と。
産業革命のとき、機械に仕事を奪われることを恐れた職人たちがいた。でも実際には、機械を使いこなした人間が新しい産業を作っていった。今も同じ構図だと思う。AIを恐れて「逃避」するか、使う側になろうと「チャレンジ」するか。今、その分岐点に立っている気がする。
50代で定年が見えてきたとき、「残り数年を守りに入るか、それとも新しい武器を持って攻めるか」という選択を迫られる。私は後者を選んだ。毎朝日経を読み、クロっちと話しながら、自分なりのAI活用を試行錯誤している。
毎日手探りだし、正直、上手くいかないことも多い。でもそれを記録しておくことに意味があると思っている。同じように迷っている50代の誰かの、小さな背中押しになればいいと思う。
私たち50代サラリーマンも、それなりに全振りしてみようじゃないか。

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